現代彫刻家、大黒貴之について
2010.01.25 (Mon)
ロングセラー
近所の本屋に立ち寄ります。
僕が住む周辺では、チェーン的、
しかも中途半端な大きさの本屋ばかりで
DVDやCDレンタルを兼ねて経営してる店が多い。
中に入って、本をゆっくりと眺めていると
「〜の成功の仕方」とか「お金の授業」とか
「〜の10の法則」とか同じようなタイトルや内容の本。
(そんなものは、筆者の成功や法則であって
読者のものではないと思うのですが・・)
あと、今、売れっ子の人の本ばかりがならぶ。
(経済の本を書いている人が
なんで恋愛の本も書いてんねん!)
答えは簡単。
売れるから。
昨今の本は、内容の良し悪しより
話題性や発行部数が多いかで、店頭にならぶという。
そう、売れりゃいいじゃん!!
たしかに、本屋も商売だから売れなければ
駄目なのだから、そうゆう本があるのは当然だが、
それにしても、売れる本ばかりというのもいかがと思ってしまうのです。
でもね、中には、その辺の本屋では
手に入らないような内容の濃い本もあっていいのでは思うのです。
(だから、最近、僕は大型書店にいくか
これは!と思った本をアマゾンで購入することが多い)
それは、食事をするのに、
ファミレスや大量生産の牛丼屋ばかりで
舌鼓を打てる料理屋がないのと同じようなものだ。
お笑い番組や同じ顔の芸能人ばかりが並ぶ民放のテレビしかり、
パッと売れてパッと消えていく音楽業界しかりだ。
ヒットものはたくさんあるけど、ロングセラーは極めて少ない。
世間全体がそれを求めているのか
誰かがそう仕向けているのか。
けれども、そんな中にも、
良書や深い映画や美味しい料理は必ずあります。
僕は味わい深いと思えるモノや事、人にこれからも
出会っていきたいのです。
細々でも、長い時間、世の中に在り続けることができる
味わい深いもの。
味わい深いものは
時間の圧力に耐える本物だと思うのです。

僕が住む周辺では、チェーン的、
しかも中途半端な大きさの本屋ばかりで
DVDやCDレンタルを兼ねて経営してる店が多い。
中に入って、本をゆっくりと眺めていると
「〜の成功の仕方」とか「お金の授業」とか
「〜の10の法則」とか同じようなタイトルや内容の本。
(そんなものは、筆者の成功や法則であって
読者のものではないと思うのですが・・)
あと、今、売れっ子の人の本ばかりがならぶ。
(経済の本を書いている人が
なんで恋愛の本も書いてんねん!)
答えは簡単。
売れるから。
昨今の本は、内容の良し悪しより
話題性や発行部数が多いかで、店頭にならぶという。
そう、売れりゃいいじゃん!!
たしかに、本屋も商売だから売れなければ
駄目なのだから、そうゆう本があるのは当然だが、
それにしても、売れる本ばかりというのもいかがと思ってしまうのです。
でもね、中には、その辺の本屋では
手に入らないような内容の濃い本もあっていいのでは思うのです。
(だから、最近、僕は大型書店にいくか
これは!と思った本をアマゾンで購入することが多い)
それは、食事をするのに、
ファミレスや大量生産の牛丼屋ばかりで
舌鼓を打てる料理屋がないのと同じようなものだ。
お笑い番組や同じ顔の芸能人ばかりが並ぶ民放のテレビしかり、
パッと売れてパッと消えていく音楽業界しかりだ。
ヒットものはたくさんあるけど、ロングセラーは極めて少ない。
世間全体がそれを求めているのか
誰かがそう仕向けているのか。
けれども、そんな中にも、
良書や深い映画や美味しい料理は必ずあります。
僕は味わい深いと思えるモノや事、人にこれからも
出会っていきたいのです。
細々でも、長い時間、世の中に在り続けることができる
味わい深いもの。
味わい深いものは
時間の圧力に耐える本物だと思うのです。

2010.01.24 (Sun)
味わい深い仕事をする
僕は彫刻家です。
彫刻家の仕事とは、作品を創ることです。
けれども、それともう一つ大事なことがあるのです。
創ることと同じ、否、それ以上に大事なこと。
それは、「深く考える」ということです。
この「深く考えること」なしに
味わい深い作品は、生み出されることはないと僕は考えています。
創っているときというのは、
実は、何も考えていない、というのが近い表現になります。
それは、作業であり
その時は、考えていることなんか
ブットンでいるからです。
作業の合間あいまにいろいろと考えることはありますが
創っている最中の頭の中の考えなんかは
飛んでしまっているのです。
では、なんで、作品のカタチができたり、
発想がでてくるのかいうと
平素から考えているからです。
どんな作品にしようということももちろんありますが、
社会のことや政治のこと、彫刻のこと、
人がいつの時代にも共通する感情や感動はなにかとか
人の持っているゆるぎない本質はなにか
自分が今、生きている中で何を観て、何を体験しているのかとか
そんなものが全て、作品のカタチとなって出てくるのだと思うのです。
考える時間があるということは、
とても大事なことなのです。
僕は、彫刻家が本業ですから、
それに関することを
四六時中考え、
それを作品として
アウトプットすることが仕事なのです。
デザイナーでも
建築家でも
スポーツ選手でも
農業者でも
棋士でも
自分の世界を持って
アウトプットしているひとたちは
みんなそうなのだと思うのです。
逆説的にいうと
四六時中考えてしまうものなのです。
しかし、当然、考えるばかりでも駄目です。
かつて、西郷隆盛は
本を読むことは、素晴らしいことだが、
「本のムシ」になってはいけないということ言いました。
本を読んで、知識や理論や口だけが先行してはいけない。
かといって、行動ばかりが先行しては
その行動に味わい深さがなくなると。
作家も同じで、
知行合一のバランスが大切なのです。
「深く考えること」と「創ること」のバランスの
元に作家は成り立っているのです。
そして、「深く考えること」には
考えることができる時間を持つことが
同じくらい重要なのです。
普段、何を考え、何を見聞し
どんな人と接しているのかによって
アウトプットするモノ
つまり、発する言葉であれ、行動であれ
仕事であれ、作品であれ、
全てにおいて大きく変わるのです。
僕は、同じ作品を創るなら
味わい深く、100年、200年、先の時代にも
共感できる作品を志したいです。
彫刻家の仕事とは、作品を創ることです。
けれども、それともう一つ大事なことがあるのです。
創ることと同じ、否、それ以上に大事なこと。
それは、「深く考える」ということです。
この「深く考えること」なしに
味わい深い作品は、生み出されることはないと僕は考えています。
創っているときというのは、
実は、何も考えていない、というのが近い表現になります。
それは、作業であり
その時は、考えていることなんか
ブットンでいるからです。
作業の合間あいまにいろいろと考えることはありますが
創っている最中の頭の中の考えなんかは
飛んでしまっているのです。
では、なんで、作品のカタチができたり、
発想がでてくるのかいうと
平素から考えているからです。
どんな作品にしようということももちろんありますが、
社会のことや政治のこと、彫刻のこと、
人がいつの時代にも共通する感情や感動はなにかとか
人の持っているゆるぎない本質はなにか
自分が今、生きている中で何を観て、何を体験しているのかとか
そんなものが全て、作品のカタチとなって出てくるのだと思うのです。
考える時間があるということは、
とても大事なことなのです。
僕は、彫刻家が本業ですから、
それに関することを
四六時中考え、
それを作品として
アウトプットすることが仕事なのです。
デザイナーでも
建築家でも
スポーツ選手でも
農業者でも
棋士でも
自分の世界を持って
アウトプットしているひとたちは
みんなそうなのだと思うのです。
逆説的にいうと
四六時中考えてしまうものなのです。
しかし、当然、考えるばかりでも駄目です。
かつて、西郷隆盛は
本を読むことは、素晴らしいことだが、
「本のムシ」になってはいけないということ言いました。
本を読んで、知識や理論や口だけが先行してはいけない。
かといって、行動ばかりが先行しては
その行動に味わい深さがなくなると。
作家も同じで、
知行合一のバランスが大切なのです。
「深く考えること」と「創ること」のバランスの
元に作家は成り立っているのです。
そして、「深く考えること」には
考えることができる時間を持つことが
同じくらい重要なのです。
普段、何を考え、何を見聞し
どんな人と接しているのかによって
アウトプットするモノ
つまり、発する言葉であれ、行動であれ
仕事であれ、作品であれ、
全てにおいて大きく変わるのです。
僕は、同じ作品を創るなら
味わい深く、100年、200年、先の時代にも
共感できる作品を志したいです。
2010.01.20 (Wed)
子どもの文化・芸術の体験は重要93.1%
文化・芸術、過去1年に6割が鑑賞 内閣府調査
内閣府が16日発表した「文化に関する世論調査」によると、
過去1年間に映画館や劇場などで直接、
文化・芸術を鑑賞した人は62.8%だった。
子どもの文化・芸術の体験が「重要」は93.1%に達した。
「重要」と答えた人にどのような体験が重要かを複数回答で聞くと
「学校での公演などの鑑賞体験を充実させる」が58.3%と最も多かった。
「習い事の機会を充実させる」は30.3%だった。
以上、日経ネットからの抜粋終わり
今日の日本の学校教育では
受験に合格するかどうかが重要視され、
芸術教科は重きにおかれずという傾向があるなかで
この記事を読んで少し嬉しさを感じました。
受験のための勉強や
仕事のための勉強というのは
とても大切です。
何事にも「遊びという間」があって、
芸術や文化はその「遊びの間」をつくる役割だと思うのです。
社会に役立つための情報(食べるための術)と
人の心を味わい深く、豊かにする教養の
両方が備わることによって、
その人の存在が輝き、真に社会的にも重要になるのだと思うのです。
先日、先哲を学ぶ勉強会の中で先生が
「豊臣秀吉があれだけの功績を得て
晩年失敗したのは、教養がなかったからだ」と
おっしゃったことが印象深かったです。

内閣府が16日発表した「文化に関する世論調査」によると、
過去1年間に映画館や劇場などで直接、
文化・芸術を鑑賞した人は62.8%だった。
子どもの文化・芸術の体験が「重要」は93.1%に達した。
「重要」と答えた人にどのような体験が重要かを複数回答で聞くと
「学校での公演などの鑑賞体験を充実させる」が58.3%と最も多かった。
「習い事の機会を充実させる」は30.3%だった。
以上、日経ネットからの抜粋終わり
今日の日本の学校教育では
受験に合格するかどうかが重要視され、
芸術教科は重きにおかれずという傾向があるなかで
この記事を読んで少し嬉しさを感じました。
受験のための勉強や
仕事のための勉強というのは
とても大切です。
何事にも「遊びという間」があって、
芸術や文化はその「遊びの間」をつくる役割だと思うのです。
社会に役立つための情報(食べるための術)と
人の心を味わい深く、豊かにする教養の
両方が備わることによって、
その人の存在が輝き、真に社会的にも重要になるのだと思うのです。
先日、先哲を学ぶ勉強会の中で先生が
「豊臣秀吉があれだけの功績を得て
晩年失敗したのは、教養がなかったからだ」と
おっしゃったことが印象深かったです。

2010.01.19 (Tue)
大木との出会い
「大きな彫刻作品を創るために新たに木を探しているのですが、
滋賀県でどなたか詳しい人ご存知ですか?」
と、昨年末に養鶏家の中辻さんに相談をしたところ
地元で木材に明るいというM氏を紹介してくださりました。
さっそく連絡をして、その旨を伝え
年をまたいだ、先日、Mさんにお会いできることになりました。
当初、彫刻に使うような雑木は無いな〜と言って
おられたのですが、実際にお会いして話を
してみると、いろいろと考えてくださっていて
「いくつか心あたる木があるから、観にいってみるか」と
そこで連れて行ってくださった一つの木が
こちら

なんと、これ一本丸々持っていってくれていいよと。
いやぁ〜
すごいっす!!!!!
驚きでした。
驚くというのは、まさにこのことだと思いました。
話を聴いてみると、
「もうこの木も寿命で
枯れかかっているし、カラスなんかの鳥が留まって
フンをして周囲を汚したり、鳴き声を出すから、切ろう思っている」とのこと。
実は、昨年に切る予定だったけど、
それがどうやら流れたらしく、今年になったそうなのです。
丸々一本持っていっていいという、
M氏の心意気が嬉しかったし、
ひょっとしたら昨年に切られていて
出会うことが出来なかった
この木と面会できたことも嬉しかった。
仕事場まで持って帰るには
一つの難関が。
この大木、
どうやって切ろうかしら。
一つは近所のおっちゃんに相談をしてみました。
もう一つは、またまた異業種の会の皆様に
お力を貸していただくことになると思います。
異業種の会で出会った百姓の門田さんから中辻さん。
そして、中辻さんからM氏へ。
人がつながっていくということを実感した瞬間でした。

滋賀県でどなたか詳しい人ご存知ですか?」
と、昨年末に養鶏家の中辻さんに相談をしたところ
地元で木材に明るいというM氏を紹介してくださりました。
さっそく連絡をして、その旨を伝え
年をまたいだ、先日、Mさんにお会いできることになりました。
当初、彫刻に使うような雑木は無いな〜と言って
おられたのですが、実際にお会いして話を
してみると、いろいろと考えてくださっていて
「いくつか心あたる木があるから、観にいってみるか」と
そこで連れて行ってくださった一つの木が
こちら

なんと、これ一本丸々持っていってくれていいよと。
いやぁ〜
すごいっす!!!!!
驚きでした。
驚くというのは、まさにこのことだと思いました。
話を聴いてみると、
「もうこの木も寿命で
枯れかかっているし、カラスなんかの鳥が留まって
フンをして周囲を汚したり、鳴き声を出すから、切ろう思っている」とのこと。
実は、昨年に切る予定だったけど、
それがどうやら流れたらしく、今年になったそうなのです。
丸々一本持っていっていいという、
M氏の心意気が嬉しかったし、
ひょっとしたら昨年に切られていて
出会うことが出来なかった
この木と面会できたことも嬉しかった。
仕事場まで持って帰るには
一つの難関が。
この大木、
どうやって切ろうかしら。
一つは近所のおっちゃんに相談をしてみました。
もう一つは、またまた異業種の会の皆様に
お力を貸していただくことになると思います。
異業種の会で出会った百姓の門田さんから中辻さん。
そして、中辻さんからM氏へ。
人がつながっていくということを実感した瞬間でした。

2010.01.07 (Thu)
2010年迎春
2009.12.29 (Tue)
2009年、年の瀬
2009年も残すところ今日を入れて3日になりました。
さきほど、仏壇や神棚にお餅やさかきを供えたところです。
12月31日と1月1日の境目には、多くの人が関心を寄せて
来年の目標を立てたり、心機一転をしたります。
今年と新年。
時間の流れは全く一緒なのに、何か不思議な感じですね。
まぁこれも人だけが持つ独特の文化なのでしょうけど。
さて、来年の僕の目標は、なにかといいますと
「大作を創る」ということです。
なにをもって大作というのか。
僕が思うには、「自分の代表作を創る」ということでしょうか。
あの作品といえば、大黒貴之の作品であるという作品。
来年はそのような作品を創る
その第一段にしたいと考えています。
皆さんも来年の目標を立てましたか?
おかげさまで、
今年も有意義な一年を過ごすことができたと
感じております。
特に11月の個展では、
自分のスタイルというものを
自分自身でも少し感じることできました。
来年は、さらにこれを推し進めて
大黒貴之の世界を構築していきたいです。
来年も皆様にとって
ご多幸ある一年でありますことを心より
お祈りしております。
今年一年、本当に有難うございました。

さきほど、仏壇や神棚にお餅やさかきを供えたところです。
12月31日と1月1日の境目には、多くの人が関心を寄せて
来年の目標を立てたり、心機一転をしたります。
今年と新年。
時間の流れは全く一緒なのに、何か不思議な感じですね。
まぁこれも人だけが持つ独特の文化なのでしょうけど。
さて、来年の僕の目標は、なにかといいますと
「大作を創る」ということです。
なにをもって大作というのか。
僕が思うには、「自分の代表作を創る」ということでしょうか。
あの作品といえば、大黒貴之の作品であるという作品。
来年はそのような作品を創る
その第一段にしたいと考えています。
皆さんも来年の目標を立てましたか?
おかげさまで、
今年も有意義な一年を過ごすことができたと
感じております。
特に11月の個展では、
自分のスタイルというものを
自分自身でも少し感じることできました。
来年は、さらにこれを推し進めて
大黒貴之の世界を構築していきたいです。
来年も皆様にとって
ご多幸ある一年でありますことを心より
お祈りしております。
今年一年、本当に有難うございました。

2009.12.22 (Tue)
一流のものに共通する芯
12月の始め頃、確か4日だったと思うのですが、
初めて「能」を観に行きました。
個展で知り合った方にお聞きした
京都の金剛能楽堂に行きました。
能は少し予備知識があるといいということを
よく聞くのですが、
今回はあえて、そのような知識を頭にいれずに
観てみようと思いました。
なにやら難しいけど、なにかを感じることは
できるだろうと考えたからです。
案の定、始まってみるとなにを言って
いるのか断片的にしか理解できません。
楽器は太鼓と笛。
そして、人の声と役者が床を足でたたく音だけで
音楽を構成していてとても単調に聞こえます。
役者の動きも非常に緩やかです。
最初は、退屈な感じもしたのですが、
観ているうち、その世界の中にドンドン引き込まれていく
感じがするのです。
音楽も緩やかなものから激しいのまでを
少ない楽器と声だけで表現をします。
舞台の上で繰り広げるあの独特の間や
限られた楽器だけで演奏する音、
舞台建築の空間は、まさに別世界は入ったような感触でした。
かつて、ベルリンでオペラを観にいったことが
あるのですが、
その時も、なにかわからないけど
スゲーという気持ちになったのを覚えています。
何かわからないけど、
とにかく凄いと感じるのです。
東西違う文化なのだけれども
長い時間の中で洗練された共通したものを
秘めているのだと思いました。
オペラのときも、能のときも
同じようなものを感じたし
今もその記憶が残っています。
優れたものや優れた作品は
いつまで経っても心に残るし
時間の圧力に耐えるのでしょう。
先日、観た不動明王もまた
同じようなものを秘めているのだと思います。
(あれはかなり凄かったですが)
一流、もしくは、超一流のものは
カタチは違えど、根底に流れる芯は
同じなのではないかと考えます。
その芯はどのようなものかを
言うのはとても難しいのですが、
少なくともそれらから
感じたものには共通するものがあるのです。
初めて「能」を観に行きました。
個展で知り合った方にお聞きした
京都の金剛能楽堂に行きました。
能は少し予備知識があるといいということを
よく聞くのですが、
今回はあえて、そのような知識を頭にいれずに
観てみようと思いました。
なにやら難しいけど、なにかを感じることは
できるだろうと考えたからです。
案の定、始まってみるとなにを言って
いるのか断片的にしか理解できません。
楽器は太鼓と笛。
そして、人の声と役者が床を足でたたく音だけで
音楽を構成していてとても単調に聞こえます。
役者の動きも非常に緩やかです。
最初は、退屈な感じもしたのですが、
観ているうち、その世界の中にドンドン引き込まれていく
感じがするのです。
音楽も緩やかなものから激しいのまでを
少ない楽器と声だけで表現をします。
舞台の上で繰り広げるあの独特の間や
限られた楽器だけで演奏する音、
舞台建築の空間は、まさに別世界は入ったような感触でした。
かつて、ベルリンでオペラを観にいったことが
あるのですが、
その時も、なにかわからないけど
スゲーという気持ちになったのを覚えています。
何かわからないけど、
とにかく凄いと感じるのです。
東西違う文化なのだけれども
長い時間の中で洗練された共通したものを
秘めているのだと思いました。
オペラのときも、能のときも
同じようなものを感じたし
今もその記憶が残っています。
優れたものや優れた作品は
いつまで経っても心に残るし
時間の圧力に耐えるのでしょう。
先日、観た不動明王もまた
同じようなものを秘めているのだと思います。
(あれはかなり凄かったですが)
一流、もしくは、超一流のものは
カタチは違えど、根底に流れる芯は
同じなのではないかと考えます。
その芯はどのようなものかを
言うのはとても難しいのですが、
少なくともそれらから
感じたものには共通するものがあるのです。
2009.12.20 (Sun)
衝撃を受けた青不動明王
20日は、朝から大阪の生國魂神社の玉秀庵で
お茶会の招待をいただいていたので、
スーツをビシッと決めて行ってきました。

それにしても今日は本当に寒い一日で
後で知ったのですが、大阪では、朝、初雪が降ったそうです。
正装してのお茶会というは
初めてなものでしたので、幾分、緊張もしましたが、
茶室に入って、始まってみると
和やかな雰囲気で、和菓子やお茶も美味しかったし
普段、観ることができない陶器や掛け軸なども
拝見することができたのが貴重でした。
やっぱり、良いものは良いのだなと
改めて感じました。
その後、またもや京都に向かったのです。
昨日、百姓さんに教えていただいた青蓮院に
かなりの早足で目指しました。
受付が16時半までだからです。
時計を見ると東山に到着をしたのが16時。
今日は、最終日だったので
たくさんの人が詰め掛けていると思っていたのですが、
お寺に行くと案の定入り口には長蛇の列が。

ギリギリ時間内に滑り込むことができて
境内を進んでいくと、中ほどに
昨日、百姓さんが言っていた
青不動がいました。
なんとその両脇には
赤不動と黄不動もいるではないですか!!
しかも、話を聞いてみると
三不動が並ぶのは15日〜20日までたった5日間だけだとか!
それにしても、不動さんの絵。
本当に素晴らしかった。
その周囲の空気が動いているのです。
そして、なにか不思議な力が、
体全体にうったえかけてくるのです。
拝観してからもじっくり観てみたい。
否、感じていたいという感覚。
そして、その部屋から出たくないというか
その絵の前から動きたくないという絵でした。
これほどの絵を前にするのは、滅多にありませんね。
時間を越えても、人々の心に焼きつく絵というのは
こういうエネルギーを秘めているのだと感じました。
前回、青不動が一般開帳されたのは、大阪万博のときとか。
次回、またお目にかかれるのは、
少なくとも十年以上先でしょう。
しかも、赤不動と黄不動も一緒に観ることができたのは
本当に運がよかったです。
赤不動と黄不動も、めちゃくちゃよかったです。
観て感じることができる絵の素晴らしさを
改めて実感しました。
今日は、お茶会、青蓮院の不動明王との対面と
一日が、気持ちの良い、そして
久しぶりに絵を前に感動をした一日でした。

お茶会の招待をいただいていたので、
スーツをビシッと決めて行ってきました。

それにしても今日は本当に寒い一日で
後で知ったのですが、大阪では、朝、初雪が降ったそうです。
正装してのお茶会というは
初めてなものでしたので、幾分、緊張もしましたが、
茶室に入って、始まってみると
和やかな雰囲気で、和菓子やお茶も美味しかったし
普段、観ることができない陶器や掛け軸なども
拝見することができたのが貴重でした。
やっぱり、良いものは良いのだなと
改めて感じました。
その後、またもや京都に向かったのです。
昨日、百姓さんに教えていただいた青蓮院に
かなりの早足で目指しました。
受付が16時半までだからです。
時計を見ると東山に到着をしたのが16時。
今日は、最終日だったので
たくさんの人が詰め掛けていると思っていたのですが、
お寺に行くと案の定入り口には長蛇の列が。

ギリギリ時間内に滑り込むことができて
境内を進んでいくと、中ほどに
昨日、百姓さんが言っていた
青不動がいました。
なんとその両脇には
赤不動と黄不動もいるではないですか!!
しかも、話を聞いてみると
三不動が並ぶのは15日〜20日までたった5日間だけだとか!
それにしても、不動さんの絵。
本当に素晴らしかった。
その周囲の空気が動いているのです。
そして、なにか不思議な力が、
体全体にうったえかけてくるのです。
拝観してからもじっくり観てみたい。
否、感じていたいという感覚。
そして、その部屋から出たくないというか
その絵の前から動きたくないという絵でした。
これほどの絵を前にするのは、滅多にありませんね。
時間を越えても、人々の心に焼きつく絵というのは
こういうエネルギーを秘めているのだと感じました。
前回、青不動が一般開帳されたのは、大阪万博のときとか。
次回、またお目にかかれるのは、
少なくとも十年以上先でしょう。
しかも、赤不動と黄不動も一緒に観ることができたのは
本当に運がよかったです。
赤不動と黄不動も、めちゃくちゃよかったです。
観て感じることができる絵の素晴らしさを
改めて実感しました。
今日は、お茶会、青蓮院の不動明王との対面と
一日が、気持ちの良い、そして
久しぶりに絵を前に感動をした一日でした。




